2011年04月10日
子供ってすごいなー
最近とくに強く思うこと。
子供ってすごいなーって思う。
だってさー生まれて2年とかで言葉話始めている。
当たり前のことのように思えるけどこれってすごいんじゃね?って思ってる。
二年後に英語話せるようになる?っていうのと同じことだよね。
だから私たちも海外へ行って英語あかり耳に入れていれば
話せるようになるんだろうね。
日本語とは決別した生活を送ることが重要なのかもね。
一度やってみたいです。
新しい世界がそこにはありそうだ。
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2010年08月14日
大変だー
つくずく思うよ。
子育てって大変だなーってね。
でもでも、自分もこうやって育ってきたんだなーって。
誰でもこうやって成長してきたんだなーって思うと、
親に感謝を忘れては決してだめだなーって思える。
明日は銀座カラーのフリーチョイス脱毛をしにいってくるべし。脱毛して女に磨きをかけるんだ。
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2010年07月23日
夜泣きのタイミング
ここ数日、夜泣きがひどくなっていています。
私が寝そうになった時にぎゃーーっと泣き始めます。
そして寝付かせて、さあ寝ようと思うんだけど、寝れなくて・・・
そしてよし!また寝れそうだ。うとうとっとした時に、ぎゃーーと泣きだします。
困りますこのタイミング。どうしたらいいんだろう。寝れないよぅ。。
そんな時にはパソコンをこそっと開いてオンライン中古車査定のサイトなんかを見たりしていると目が疲れて眠くなったりする。
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2008年08月08日
地域コミュニティ
小さい子どもを抱えている母親同士、話し込むとそれはそれは長くなる。子どもや兄弟の間の悩み、義理の親との関係、地域での悩み、エトセトラ、エトセトラ・・・とくに第1子の時にはそういった話で盛り上がり、ストレスを発散できた。女はただ、聞いて、同調してくれる友達さえいれば満ち足りるのだ。だが、その後私は第3子を産み、なんと第4子も産もうとしている。近頃は、そういった悩みを語ることにも飽きてきて、聞くのもとても退屈になってきた。そうだよね、と同調をすることはいくらでもできる。体験談も豊富だ。けれど、子育て談義は、心の底から満ちたりて楽しく話すことができる話題ではなくなってきた。それで、何を話して楽しいかというと、自営でやっている仕事の悩みや、見つけた良書やいい材料のこと、映画や雑誌のことなどである。仕事・趣味系の話題である。どうやら、私の脳は育児期を少し過ぎてきてしまったらしい。
保育園や小学校の保護者を見回しても、育児期の人と、卒業組とは、少し会話をすればはっきりと区別がつく。ベビースリングを巻いて、お散歩スタイルをしていても、それが第3子であって心はとっくに育児期を卒業している人もいるし、子どもが小学校に上がってもバリバリ育児系の人もいる。どちらがどうということもない、自分の興味の赴くままに生きていけばよいことだと思うが、ああ、こうやって年を取っていくのだなあ、と物思いにふけったりもするのである。
さて、育児という話題を共通にすれば、保育園でも学校でも、たくさんの友人ができ、輪も広がる。しかし、仕事や趣味を軸に付き合いをしていこうとなると、格段にその範囲は狭くなってしまう。ディープな好みや特殊な仕事では、インターネット上の「mixi」ならともかく、地域コミュニティで作れる友達の輪はないと考えていいだろう。やはり、家族、家庭という、みんなと同じものを大切に、じっとみつめて大切にしていかないと、定年後の企業戦士のように孤立してしまうだろう。そう自戒し、生活をいとおしんでいこうと思う。
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2008年08月04日
育児サークル
「育児サークル」というものが、地域にいくつかあります。未就学・未就園の幼児をもつお母さんがグループになって、いろいろな活動を行うものです。主催が役所などの場合、保育士さんやリーダーが中心になって遊びの活動を行います。お母さんたちの自治グループでは、かわりばんこに遊びのリーダーになって楽しむところもあります。そのほかに、「読み聞かせ」を専門に行うグループや、「託児サービス」に特化したグループもあります。参加費用は数百円からと気軽なもので、地域の公民館、図書館などで活動しています。サークルのいい点は、子育て中のお母さんと友達になれることで、いざというときの助けが期待できることです。それは母親にとってとても心強いものです。
中には、サークルのようなグループに属するのが苦手なお母さんもいます。女同士の独特の派閥のようなイメージがきらわれるのかもしれません。しかし、無理に所属をしなくても、幼稚園や保育園に上がると、自然と親同士のつながりが出来上がってきて、孤立したままということはありえません。そのうち園や学校で役員や何らかの係りが回ってくると、いやでもいろいろな保護者と係わりあいになります。はじめはみんないやがるのですが、終わってみると「やってよかった」と強烈に人に勧めたりしています。私たちは、子どもを育てているようで、本当は自分が試され、育てられているのだなあとつくづく感じます。
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2008年08月03日
インテリア
飛騨の家具ってとってもすてき。木製で手仕事のぬくもりがある。北欧デザインのチェアや、アメリカンアンティークなデザインもいい。よいデザインは時間を越えて今でも雑誌のグラビアなんかにも登場している。フローリングに丈夫で素敵なラグを敷きたい。雑誌を見ながらお気に入りのインテリアに囲まれて過ごしたい、そこでゆっくりコーヒーを飲んで読書をしたい・・・というのが憧れで、よく夫といっしょに冷やかしにインテリアのショールームを見に行く。
だが現実は、小学2年生を筆頭に4歳2歳の暴れん坊将軍たちのたむろするリピングに、余計なソファや掃除のしにくいマットなど敷くわけにもいかず、ソファなし、マットなしのまるで学校の室の床のような我が家のリビングである。食べこぼしの掃除も簡単、楽チンだ。
子どもが独立したら、もうすこし大きくなったら家具を買おうねと夫と話しているが、そのおしゃれなリビングセットが来るころには、このうるさくてかわいいガキんちょたちはもうそこには居らず、傷と年季の入った床はマットにおおいかくされてしまうのかと思うと、突然さびしくて涙があふれそうになり驚く。子育ての日々は嵐のようではやく抜け出したいという気持ちでいっぱいだったのに、すこし子どもが大きくなって先が見えてくると、今度は逆にさびしくなるなんて自分勝手極まりない。人生においてどの時期も、その瞬間を大切して「今が一番幸せだ」といえる生き方をしていたいと思っている。
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2008年07月30日
スローライフ
私の怪しいスローライフ自慢です。
その1 上の子の就寝・お出かけ時の紙おむつをやめたこと。かなり強引に引っぺがしてます。が、この冬で3歳になるし、なければないで、なんとかなりました。いままで失敗した後の後片付けが面倒で、「念のため」に自分のために使っていたということが判明しました。極端な話ですが、戦前までは小さい子どもはオムツやパンツなんてはかずに走り回っているのが普通だったと、江戸時代の風俗考証で言っているのを聞いたことがあります。親も仕事で忙しく、子どもにとっても楽で合理的だったのでしょう。
その2 おしりふきぬれティッシュやめたこと。布オムツでぬぐってます。大きくてしかも気持ちいいみたいです。おしりふき。安いものでも一枚10円から20円するのです。紙類もずいぶん値上がりしましたし、何より環境にやさしいと、大満足に浸ることができます。
その3 お鍋でご飯炊くのがマイブームに。難しいものだと思っていたけど、意外に簡単で、短時間で、おいしい。水加減なども、適当に感覚で計ればいいし、途中で様子を見るためになべのふたを開けてはいけない、なんていわれますけど、ちょっとくらい大丈夫です。
なにか、ふっと時間ができてみておちついて考えてみると今まで、なくてはいけないと思ってたものが、別になくてもいいのだと、ちょっと前まではなくて当たり前だったのだという事に気づいたわけです。
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投稿者 shoishoi : 17:44 | トラックバック
2008年07月28日
食育
スローライフとか、食育とかいいながら、ファーストフードの魔法っていうのはありますね。心根が弱ったとき、ちょっとジャンクな気分になりたいとき。レンジ商品でお昼を済ますとか、子連れでマックたべちゃうとか、ショッピングセンターのフードコートとか。回転寿司、焼肉、その他エトセトラ、エトセトラ・・・
自然食の個人宅配なんて、スローなんだかファーストなんだか、よく分からない食べ物ですよね。
食べたいなと思ったときに食べたいものがかんたんに食べられることに、怖いような幸せを思います。そしてその魔法のからくりについてもっとよく目を開いていかないといけないなあと思う日々です。どこかで安く生産者を買い叩いて、どこかで運搬者をこき使って、搾取した結果ここにあるものなのではないかと想像すると、そら恐ろしくなったりもします。
世界ではいま食糧の危機が言われています。それは本当のことだろうか?とうすぼんやりしか考えていなかったことが、現実になりつつあります。品薄のバター、高騰し続ける小麦類・・・・原因は環境破壊や、市場への投機マネーの流入などといわれていますが、実際、難しいことは抜きにして、みんなで分け合うべきものを、お金の力で権力で、独り占めにしようとする、小さな、けれども強い私たちの欲が結集してバケモノのようになったものが地球上を支配しているのではないでしょうか。また、しんどいことは一切抜きにしておいしいところをとりたいという楽したいという欲望もまた、そのニーズをだれも責任が負えなくなるくらい膨らみすぎているのかもしれません。自戒するところです。
投稿者 shoishoi : 11:56 | トラックバック
2008年07月23日
産休に入って
産休に入ったのでいままでできなかったことをおもいっきりできるぞー!と喜び勇んでもう2週間目に突入。ここまで、家の中のささやかなこと。整理整頓・庭の手入れ・裁縫をはじめ、読書・インターネットなどやりつつくつろいできた。働いてるときは「ちょっと落ちているごみを拾えないでいる現象」で、「生きてるだけ」だったから。
子どもを保育園にやりながら勤務をしているときは、まるで浮き足立ったように過ぎていく毎日、毎時間。仕事ぶりは以前に比べて数倍早くなった。段取りがよくなった。予定外のことは起こらないように、日頃から入念に根回しを行い、それでもおこるハプニングにも即効で対処した。回りからは「よくやってるね」と褒められたが、しっかりやっているように「見える」だけで、実は乱暴に義務を果たしているに過ぎなかった。
「いい仕事」は一切していなかったと断言できる。たまに熱心にやろうと思うと、今度はわが子にしわよせが行き、発熱などで倒れる始末だ。まったく使えない自分にあきれはてる。職場では、女性も多いので「それはしかたがない、順番なのだ」と励ましてくれる、「子育てを終えてしまうと仕事しか情熱を向けるものがなくなってしまうからさみしいんだよ」などという話も聞く。
たとえ「ながら仕事」でも、ベストを尽くしてやっていれば罪悪感など感じなくてもよかったのかもしれない。こうやってバタバタしながらも家族健康で生きていられる日々に感謝なのだろう、きっと。
投稿者 shoishoi : 13:17 | トラックバック
2008年07月22日
NHKの教育番組「ひとりでできるもん」
NHKの教育番組で「ひとりでできるもん」という子どもが料理する番組があるけど、最近我が家では夕飯時にぐずる2歳男児といっしょにご飯を作ることにしている。
もちろん、ひとりではできないのはあたりまえで、でも、炒め物をしたり、(要観察・要付き添い・危険大)切った食材をボウルやなべに入れたり、酢飯をあおいだり、けっこう使える。なかでもお気に入りの工程は「まぜまぜ」餃子のネタや、あわせ調味料、ケーキのたね。自分がまぜたケーキの焼けたときは「ひょえー」ってよろこんでいた。その様子がなんともかわいらしく、癒されているような親ばかぶりだ。しかし、2歳の男なんて、女の子に比べたら言葉もまだまだ意味不明だし赤ちゃんみたいなんだけど、やればできるもんだ。
「きょうの料理」のグッチさんの焼きそば作りの再放送。息子は真剣に見ていた。「まぜまぜねー」「おいしーねー」テレビの画面に文字通りかぶりついて研究。役に立つ男になってほしい。キッチンを自在に操る男性なんて魅力的!そう感じます。男性の料理研究家の作るものってがっつりとおいしそうで、結婚して欲しくなりますよね。将来のためにも!
役に立つといえばもうひとつ。長男は私のトイレにまでついてくるが、ペーパーが切れたときにも補充をお願いしたらもってきてくれる。なので補充は低い位置に置くことにしている。これはほんとに助かる。後追いされるかわりに、こちらも利用させてもらいますよ。Give and take。
投稿者 shoishoi : 10:55 | トラックバック
2008年07月18日
出産後お手伝いに来てくれた母
娘さん、むすめさん、書いてみて改めて、いい響き。牧歌的。
今日をもって、実家から来ている母も帰るのです。一人目の出産のときに来てくれたときもそうだったけど、家事もなーんにもせず、なんの気遣いもなくだらだらと母の娘さんとしてすごした超呑気かつ超貴重な少ない日々というのは、家の風景までちがって見えてくるから不思議。本当に、空気の色まで違う感じなんですって。産後ボケか??
うちの子どもらは、いまのところ男2人で、成人して子どもができたとして、お嫁にあれこれしてやることもかえって気を使わせるだけに違いない。金と食料をどーんと与えて放っておこう。
もし、娘が出産なら、母がしてくれたようなことをして、いや、・・・うーん、面倒だ。けどまあ、産後の退屈で体もぱっとしない日々の昼間の、しょうもない話の相手をするくらいならやってあげましょう。
これって結構重要な役割だと思う、話をしても親子なので共感的だし、女だし、必ず味方だという安心。子育て巣作り期の必須パートナーでしょう。里帰り出産人気の秘訣はここにあり、です。
私の場合は、里から母を呼び、入院中は上の子まで身辺にはべらせるという超わがまま出産でした。おかげで子どもも元気に生まれ、大変にありがたいことです。
おかあさん、ありがとう。
投稿者 shoishoi : 12:48 | トラックバック
2008年07月15日
赤ちゃん抱きながら
赤ちゃん抱きながらできることって、テレビか、パソコンくらいなんですね。あとは、部屋をうろうろ。考え事。読書。自然とパソコンに向かってる時間も長くて、なぜかぼうやはブラウザを一緒に見てる。
左が頭のほうなので、私は右手が空いていて、右打ちキーボードが早くなった。そのうちブラインドでできるかも。でも両手を一緒に使えないので、ショートカットキーが使えないのが悩みです。
あと、赤ちゃんに電磁波よくないよね。というか、自分にもあまりよくないかもしれない。だけど、母子二人きりの昼間に、閉じたきりの社会の窓に、ほんの少しの風穴を開けてくれるのが私にとってはパソコンであり、インターネットだった。?にすぐさまいろいろ返答してくれる。リンクの海をたどり、ため息をつく。それで、わたしのしたいことはなんだったんだろう?
3人の出産・子育て中に、拘束されている代わりに、私は座ってできることはすべてやろうと決意し、ホームページを立ち上げ、展覧会を催し、ソフトを3つ習得し、現在はイラストレーターを開業するまでに至った。あのだっこ紐でしばられたような拘束感や焦りがなければ、ここまでは来ていなかったかもしれない。出産・子育て中に、子どもから得たものは大きい。逆に子どもたちに与えたものはどうだっただろう。これから与えられるものはなんだろう。赤ちゃん抱きながら、そんなことを考え続けている。
投稿者 shoishoi : 15:41 | トラックバック
2008年07月14日
買い物は戦闘だ
なるべくなら家に引きこもって絵でも描いていたいけど、食料はなくなるし子どもが退屈するので買い物にも出かける。天気も悪いしと、伸ばし伸ばしにしていたので食材がない。今日はどか買いになるだろう。そのまえに郵便局や市役所に寄る用事もあり、生活雑貨もドラッグストアで買わなければならない。スーパーについたら、抱っこひもを持ってくるのを忘れたので、ベビーカーとショッピングカートをダブルでおすはめになる。まったく・・・。
カートが重くて小回りがきかず、上の子もちょろちょろして大変に迷惑だ。下の子が泣き出してさらに大迷惑。だんだんと視野が狭くなり、脳みその沸点が上がってくるようだ。イライラも最高潮なそんなとき、おばちゃんとか、周りの人が「赤ちゃん、ああかわいいねえ、」などとにこにこはなしかけてきてくれたりする。立ち止まって世間話でもしたいが、そんな余裕もなく、あいさつもそこそこに買い物を続ける。「なににしようかなー?」と迷っている場合でもない。今の私にとって、買い物とは、瞬発力であり、生活のための戦闘だ。
それでもどうだろう、スーパーに行くだけで買い物が終わるのは幸せなことなのかもしれない。昔のように、八百屋で、魚屋で、と店をはしごすることは大変だろう。もっと昔は、自給自足で農家の仕事に従事しており、もっと大変かもしれない。などと飛躍したことを考えてよしとする。さあて、今夜のおかずは何にしましょうか。
疲れはてて一緒に昼寝をしてしまう。そんな一日。
投稿者 shoishoi : 16:10 | トラックバック
2008年07月12日
夏は暑い!
8月に入ったらとつぜん暑い!午前中に散歩に出かけ、あやうく下のちびちゃんが熱射病になるところでした。今は冷却枕で涼んでいます。もうじき4ヶ月になります。夜は長く、昼も長く眠り、頬をつつくと大爆笑するかわいいよい子です。散歩をしていたら、この暑さのせいか、玄関をぱかっと開いているうちが何件かありました。私も、実家や、前にすんでいたアパートまでは開け放していました。南北に開けた扉から流れる空気は心地よいものです。
最近はこのあたりの住宅街にも泥棒が多くて、バイクでノーヘルのごろつきもいます。なかなかドアを開けておく勇気もでてこないというものです。「夫のいない昼下がりに、子どもと母親惨殺!」なんていう見出しになってしまたら大変です。そういえば近頃はエアコンもあるせいか、窓も閉め切りでご近所からの蚊取り線香の匂いや、生活の騒音も聞こえてこなくなったなあと感じます。そう思うと少しさびしい気もします。
玄関が開いているうちの一軒に、玄関先で、藍染で染色された朝顔ののれんがひらひらとしている家がありました。お店でもないのにちゃんとのれんかけがしつらえてあります。和風のつくりで、塀に、なんていうんだっけ、穴が開いているような細工のある家。お線香のにおいがしてきて、とてもとても、日本の実家っぽい雰囲気でした。
おみやげもって、お仏壇に手を合わせる、日本の帰省先。お盆には帰省します。待っててね、お父さん、お母さん。
投稿者 shoishoi : 18:19 | トラックバック
2008年07月10日
ディック・ブルーナ展
子どもの大好きなミッフィーちゃんの作者、ディック・ブルーナ展が開催されており、子どもといっしょに見に行く。原画があった。手書きで、ふるえるあのラインが引いてあった。原画なのでほんのときどき、修正液が使ってある。ブルーナさんもまちがうんだ!初期から少しづつかわっていくミッフィーちゃんの表情。ライオンやリスなどの仲間たち。どの子もかわいらしすぎます。色も、こだわりぬいたオレンジにブルーにイエローに。シンプルな中にも突き詰めたデザインへの情熱を感じます。おしゃれなポスター作品も多くありました。
展示品の中にブルーナさんの画材一式が置いてありました。なんと、どこの画材屋でも売っているスケッチ用紙と、どこの文具店にでも売っている面相筆。私もそれくらい持っているよ、なのに、ああ!
あのラインを引く集中力と、センスだけがどこにも売っていないんだなあ。
ミッフィーグッズはふとんに、おもちゃに、絵本に・・・・見飽きるくらい見てるから、なんにも感じないかと思ったらそんなことはないです。記念切手から大判のシルクスクリーンに至るまで、どれもこれももっていたくなる、自分のものにしてしまいたくなるすばらしさ。いいものは国境を越えて、時を越えて、みんなの手に送り届けられていくのだなあとひしひしと感じました。子どもそっちのけで母親大興奮!アートなひと時をすごすことが出来ました。
投稿者 shoishoi : 11:29 | トラックバック
2008年07月07日
本屋
最近の本屋は、子どもが読書できるコーナーやオトナも座って読めるベンチコーナーがありますね。信じられないことに喫茶コーナーに買っていない本を持ち込んでいいところもあります。(買ってない本がよごれたらどうしよう、という恐怖で持ち込みがたいですが)とにかく非常にリラックスできます。ほとんど日課と化した本屋タイム。いやいや、たまに買うコトだってあるんですよ。
だっこひもだとあかちゃんの顔で本が見えないので、おんぶにして読みます。短パンとシャツで赤ちゃんおんぶして、2歳の子も連れて、立ち読みというのか座り読みというのか、とにかく本屋が大好きです。
ところで子どもの本コーナーは、図書館のような厳格さや監視がないためかだいたい本が読み散らかされて無残な状態にあります。親がうるさくいうか、うるさい店員さんでもいればいいのでしょうがビニールは破られ、注文シートがはみ出し、元に戻したくてもどこにあった本なのかわからなくなっています。そんなことならプレイマットを敷いたコーナーなんかなくしてしまえばいいのにな、と思います。
この傷ついた本たちは返品?それとも処分??ああもったいない。マナーとか、モノを大切にすることよりも、利用しやすい、ウケル店というほうがよいのでしょうか。本当に本が好きなら、そういう光景は見たくないと思うのですがどうでしょうか。立ち読みが多いくせにいろいろと小言を言っている自分もどうかと思いますが。
投稿者 shoishoi : 15:07 | トラックバック
2008年07月06日
となりのトトロ
となりのトトロ。誰でも知ってる名作アニメ。挿入歌も教科書の定番になり、耳にたこができるほど聞いた。学校も、合唱もした。もう感動もないとおもっていた。たまたま子どもが図書館でビデオをかり、また見ることになった。
子どもにとってははじめてのトトロ。横で視聴するカオを観察していると、こちらもとても楽しい。まっくろくろすけのおかしな動きに驚く様子、トトロが地響きのするような声でしゃべるシーンでどっきりする様子。
そして私は猫バスの走るシーンで、涙がこみ上げそうになった。
ストーリーでなくて、猫バスのキャラがとってもナイスだと思った。
楽しくて不思議で、なんだかこんなものが見られてとてもうれしいという珍しい感情。ここは泣くとこではないんだけどね。子どものおかげで初めてネコバスを見たときの感動を、もう一度味わうことができてよかった。それ以来毎日3回以上は放映されるとなりのトトロはほとんどBGM状態。
国際博覧会の「愛・地球博」でさつきとメイの家が復元されて公開されたが半年間の会期中ずっと予約でいっぱいで、多くの人が詰め掛けたという。私など会場の近くに住んでいながら、一度も抽選に当たったことがない。それだけの王道を行く人気の秘密はやっぱりよい作品の魅力なんだなあ、と感心してしまう。トトロに乾杯!!
投稿者 shoishoi : 16:35 | トラックバック
2008年06月28日
折り紙大好き
こどもが、恐竜が大好きなので絵本や図鑑をよく見るようになりました。私はオンナノコでしたし、今までに恐竜に興味を持ったことなどないのでとても新鮮です。また、私達の小さいころよりも学説はちょっと進んでいるようです。以前ではティラノサウルスはゴジラ型でしたが今やジュラシックパークのようなしっぽが浮いたようなかたちであったといわれているし、呼び名が変わった恐竜もあるようでびっくりします。
こどもが喜ぶかなあと思って見つけた月刊雑誌の恐竜を折り紙で折りました。ところがこの「折り紙」っていうのはすごいですね。めちゃくちゃ難しい。解説図をうまく読み取ることと、折り筋をつけておいて机の上でなく空中で折るのが難しい。できたら過程をビデオで再生して欲しいけど。でもできたときはものすごい征服感を味わえます。
折り紙も、伝承的なものから、創作的なものまでいろいろあります。「月刊折り紙」では投稿コーナーがあって、毎月いろいろな新作が掲載されています。いったい脳のどういう部分を使って発想するのか不思議でなりません。
また、指先もおそろしく器用な方なのでしょうか。尊敬してやみません。折り紙は日本独特の文化だといいますが、世界に通用するカミワザだと思います。こどもには折り紙がすこし難しい場合は、切り紙やペーパークラフトもオススメです。インターネットでいろいろなサイトで気軽にできる紙工作のキットをダウンロードすることができます。ぜひ親子で試してみてください。
投稿者 shoishoi : 13:31 | トラックバック
2008年06月24日
散歩(本気)
2歳半になる子どもの散歩は、こちらも本気になってかなり歩く覚悟で行かなくては体力がありあまってしかたないらしい。今日はベビーカーで2ヶ月の赤ちゃんとともに、歩き遠足をした。
9時過ぎに家を出て、10時過ぎに目的地の公園に到着。途中、こけて少し鼻血が出る。道端で、青い実を拾う。石を拾う。帽子を脱ぐ。走る。ちょっとくじけて、ジュースを2口飲んで復活する。
公園では弁当を食べ、遊具で遊ぶ。帰りも「かんけん」・・・探検のこと。しながら家へ。着いてもまだお昼前だ。一日が終わったような疲労感。
昼寝をして、シャワーを浴びる。まだ一日は半分しか終わっていない。学校で言うと、3時間目の休み時間である。
子どもの時間をいっしょに生きてみると、一日はなんと長いのだろう。だらだらと疲れを癒す大人の休日の短さに比べたら。
年とともに時間を、単位で区切って、掴むように乱暴に過ごしてきたのかもしれない。これは家事の時間、自分の遊びの時間、育児の時間、仕事の時間。1時間目、2時間目・・・。そうしていることに自分を納得させている時間。本気ではない時間。そうやっているとやはり、飛ぶような速さで時間は過ぎていくように思える。どうやってすごしても一日は一日であることに代わりはないのに。
子どもと同じ目線で過ごす、切れ目のない、本気ばっかりの時間の流れ。かなりしんどいが、時々は付き合ってみる価値は、ある。ただし、「時々」に限る。
投稿者 shoishoi : 13:28 | トラックバック
2008年06月21日
オトコノコノセカイ
公園で子守しながら夕方、小学生が遊ぶのを見ている。男の子がサッカーをしている。3年生から5年生くらいの子達だ。
よく見ていると、遊びの中にもはっきりとしたそれぞれの子どもの
ポジションというか、階級がある。サッカーのクラブチームに入っている子、入っていないが能力の高い子、そうでもない子、小さい子
誰かが「いーれーてー」と参加してくるとそれがはっきり分かる。
「ずるい」「いらん」「だれそれをやるからだれだれをくれ」など、公平さのかけらもない。
一方女の子は、仕切る子はいるが、遊びの中では平等で、こまったときも「じゃんけん」や「じゅんばんこ」などのルールがきちんとしている。
男の子のサッカー集団の中に、明らかに小さい子がいた。3年か、下手すると2年かもしれない。だれかの弟なのかもしれない。そんな大きい子達に混じってそれなりにプレイしているので大人からみればたいしたものだと思う。だけど、小さいのでいちばんのみそっかす扱いだ。すばしこいプレーで活躍しそうになると、すぐに大きい子に「ハンドだ」とけん制されてしまう。
けど坊やは悔しさをこらえ、何度もリベンジする。何度か目の「ハンド」で彼はこらえ切れなくなる。「ハンド」どころか、相手からの接触ありで、こけさせられたのだ。
実際以上の激しいリアクションで足を押さえ、大泣きに泣き始める彼。公園には大人も何人かいて、心配そうに見られると、座はしらけ、見方チームが彼にそれらしく近づいて話を聞いている。どうやら彼のチームのほうが圧倒的に弱いチーム編成だったようで、周りに集まった子もちょっと年少の子が多かった。
「強いチーム」の方の彼らはさーっと散ってしまい、残った2人くらいはそ知らぬ顔で少し離れたところでボールのけりあいをはじめた。
一人が大きくけったボールはフェンスを越えて公園の隣の家のガレージに入り込んでしまった。蹴った本人が取りにいくのが筋合いだろう。だが、蹴った本人は、わざとらしく、さっきこけたちびの様子を見に行く振りをして立ち去った。そして残った男の子がそのボールをとりに行った。
女の子的観点から言うと、また、親や教師の立場からすると、それって、こうなんじゃない??と声を張り上げたくなる場面がいくつもある。(実際に張り上げたお母さんがいた。その声はまるで、「女子」のようだった)
だけど、たいていはそれでもけんかにならないのだ。お互いのポジションを確認しあっているから。暗黙の了解というやつだ。
よく女の抗争はどろどろしているといわれるけど、それだけでもないような気がする。
私たちの息子も、こんなオトコノコセカイに送り出していかなくてはならない。お帰り、といって翼を休められる家を用意しなくてはならない。夫もそうなのかもしれない。
オトコノコにとっては、社会でも学校でも「強いこと」が非常に大切なのだ。
これって、サル山のようなせつない話だよね。
投稿者 shoishoi : 13:25 | トラックバック
2008年06月09日
赤ちゃんは芸術品?
赤ちゃんはまるで芸術品のようだ。なぜなら、たいがいの人のこころにうったえ、語りかけるから。
子どもを連れてぶらぶらと外を歩く。
保育園・幼稚園児は興味を示して「あかちゃん!」となぜか目玉をつんつんしようとし、付き添いのお母さんにコラコラとたしなめられる。
中高生(女子)は「かわいー」と、遠慮なしにほっぺや腕をぷにぷに。「髪サラサラ」「目くりくり」「服かわいー」などおもに容姿に注目。
同年代、同世代の人は「たいへんですねー」と世間話。何年、何月生まれか、身長、体重はいくつか、何時間寝るのか、数値比べだ。同じ程度の数値だと安心する。
世代が少し上になると「このころがいちばんいいのよ」と昔話。中高生になった憎たらしい子どもたちの「あのころ」を思い出しているのか、少し遠い目をしている。
もっと上になると突然まごの話をはじめる。今は孫の面倒を親に代わってみている人も多いから話が長い。孫自慢だ。
「かわいいですね」とか言われたらいちおう謙遜はしておくことにしているが、やはり自分の子どもたちというのは、いるだけで死ぬほどかわいい。かわいすぎて死ぬー・・・。と世界の中心で叫びたくなる瞬間が幾度でもある。
でもこれがずっと続くのは困るような気もする。かーちゃん金くれ。飯くれ。と言われるようになってもいいからこの両手、この体をかーちゃんに戻して欲しい。上の子もオムツが外れ、下の子は離乳食開始。すごろくはひとコマひとコマ、確実に進んでいる。
投稿者 shoishoi : 13:17 | トラックバック
2008年06月03日
せつない回収
朝6時半。保育園に提出する尿と検便とぎょう虫の検体をとるのに慌てる。おしっこははじめはごねて、でも結局はコップの中に勢いよくあふれるほどに回収。おしりのセロファンもぼーっとテレビを見ている間に回収。
問題はうんちだ。昨日から出ていない。朝のNHK教育番組3本見てもまだ催さない。気配がないので仕方なく登園し、明日の予備日に持っていくことを先生に知らせる。
トイレに備え付けの回収袋を見ると、クラスの5人中、うんちを回収できたのは1人だけだった。貴重な回収者、あゆちゃんのお母さんによると、あゆちゃんは3日に一回しかうんちをしないので、きのうからヨーグルトを飲ませるなどの努力をされて、めでたく今朝に至ったらしい。やはりそれほどの気合がいるのだなあ。感心してしまう。
そういえば、去年の検尿ではとても困った記憶がある。オムツしている赤ちゃんの検尿って、いったいどうするのか。皆目見当がつかない。先生に聞いたところ、こんな方法を教えてくれる。
たたんだガーゼの下に、サランラップをひいてオムツにセット。ぬれたガーゼを絞る。めでたく回収。というわけだ。これって、量的にもちっぽけな検体だし、回収作業としてはとてもせつない。ガーゼについた埃やゴミは大丈夫なのか。いっそのこと自分の・・・いやいやそれだけは止めておこう。
本日の午後はヨーグルトを買いに出かけます。腸内環境美化につとめよう。お母さんって、子育てって、せつないかも。